JEWELRY DROP
ただ、わたしには“憧れ”と“好き”の境界線がわからなかったんだと思う。わたしという存在がいることをただ認識してほしかっただけなのかもしれない。久しぶりに掃除をしていたら、小綺麗な銀色の缶がでてきた。そうしてわたしは思いだす、去年の冬。
振り返ってみれば、そう、わたしは千石くんとまるっきり初対面だったのだ。そして、千石くんはお調子者だから彼がもらうチョコレートなんて義理も本命も含めて砂場の砂粒ぐらいの数ほどで、だからわたしのあげたチョコレートなんて別に目立つはずもなくてきっと、手作りの気合い入りまくったガトーショコラなんかの陰に埋もれていたはずに違いない。
***
しかもわたしは当日の放課後ギリギリまで渡すことを迷っていた。だって、千石くんにチョコレートを渡すのは下級生ばかりのように私の目には映ったからだ。下級生は(先輩に憧れてるんです)っていう名目でキャアキャアと、ごくごく自然な流れで渡すことができるんだろうけど、同級生は何かと本命だと見なされがちだ。事実、本命チョコを渡している子を何人も知っていたし、その子たちが午前中のうちに玉砕してしまったことも知っていた。千石くんはもう心に決めた子が1人だけいるんじゃないのー?とみんな口々に言っていた。
なのに。
「千石くん」
しまった、と思った。気付いたらそう、呼んでしまっていた。まるでいつもそうしているみたいに。振り返った千石くんは意外そうな顔をしていて、わたしはすごく居心地が悪くなってここから消えたい、それも今すぐに、と思った。でもそんなの所詮無理な話で、目の前の千石くんは紛れもなくわたしを見ていた。
「俺が、どうかした?」
(千石くんは、わたしのスリッパの色で自分と同じ学年だということを判断したらしかった)
「あのこれ」
「・・・エッ、俺に?」
「千石くんにだよ 」
「マジ?ありがとねー」
「テニス、がんばって ね」
「うんうん!」
わたしは気持ち悪くなるぐらい緊張してるのに、千石くんはへっちゃらな顔をしていた、当たり前の話といえばそれまでだけど。会話は弾むことなくあっけなく終了し、千石くんはわたしのあげたチョコレートを持って自分の教室へ戻っていった。それでも、わたしには十分だった。十分すぎるほどだった。ありがとねー、と言われたときの人懐っこい笑顔を心の中で何回も思いだしてそれだけで当分の間は頑張って生きていけそうな感じがした。
***
「さん」
(3/14 16:00) わたしはその声に少し肩を震わせた。振り返らなくてもその声の主はなんとなくわかっていたからだ。いつも賑やかな声の中心には彼がいた。だから、わかりきっていた。
「 千石くん?」
「はい。この前はありがと」
「 別によかったのにわざわざ・・」
「よくないよー。」
「なんで、わたしのことわかったの?」
「だってさん、南と同じクラスらしいじゃん」
「 そっかあー・・・」
「じゃあね!さん!」
「うん、ありがと、、」
まったく予想外だった。恥ずかしい話、こんな所まで頭が回っていなかったのだ。まさか、お返しがもらえるだなんて、私は純粋に混乱した。毎朝、校門で始業のチャイムを聞いても走らないくせに、千石くんからもらった紙袋を出来るだけ揺らさないように私は走った。靴箱から靴を取りだすときに息が上がっていた。無理もない、慢性的な運動不足なんだから。それでもなお、靴を履いてバス停まで私は走った。ひたすら。
自分の部屋に入ると、私はためらいもなく自分のバックを床に放り出して、もらった紙袋をあけた。銀色の缶を、おそるおそる開けると中身はたくさんの飴だった。色とりどりのそれは、まるで宝石にみえた、いや、私にとっては宝石そのものだった。私はそれをまじまじと見つめて、どうしようか、とまだ興奮さめやらぬ頭で考えた。いっぺんに食べるのってもったいない。1日1粒にしようか、それとも2日で1粒?
***
そして今、わたしの手元にある銀色の缶にはまだ幾つかの飴が残っている。もうすぐわたしが千石くんに声をかけた日から1年が経とうとしている。食べきれずに残った飴は夏を越したせいでベトベトに溶けている。なぜわたしはあの時、あんなにもワクワクしたのだろうか。胸を高鳴らせたのだろうか。わたしは知っていたはずだ、2月の末に千石くんが隣のクラスのテニス部のマネージャーとつき合い始めたことくらい。
触れただけでわたしの指先にその溶けた飴はくっついてくる。 でもそんなのは、今のわたしにとってはどうでもいいことだった。
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