80mmマジック 気付いたときには全てが手遅れだった。いくら引っかき回しても机の中から現代文の教科書は見つからない。せめて休み時間の間に気付いてさえいれば近くのクラスの子に借りれたのになあ。溜め息をついて左隣の女の子に見せて、と言おうと思ったらその子はさっきの休み時間に早退したらしく、主を失った机とイスだけがわたしの視界に入ってきた。瞬間、しかめ面の先生が教室へ入ってきた。 わたしの右隣は千石だ。
「・・・めくっていい?」 いつもより声を抑えているので、その声はいつもよりも、やや低めに響いた。そしてわたしは頷く。ぺらり、と音がして千石が新しいページをめくった。何が書いてあるかなんて、解る状況じゃ到底ない。なぜ今日の授業は黙読なのか。わたしは先生に今すぐにでも席をたって問い詰めたい衝動にかられた。わたしは絶対みっともない表情をしている。なぜか確信があったので、右腕で頬杖をついてそれとなく自分の顔を隠した。千石がわたしの顔なんてマジマジ見るわけが無いのに、隠さないと落ち着かなかった。千石も無意識のうちに左腕で頬杖をついていて2人して態度が悪いと思われたのか、先生が冷たい視線を私たちに投げた。 でもそんなのに構っている余裕は無かった。 わたしは出来るだけ慎重に呼吸して、教科書の物語に没頭しようと務めた。でも、どうしても千石がわたしの視界の隅に入ってきて上手くゆかない。千石の文字を追う目が上から下へ、くるくると動いている。お互いにもういつの間にか頬杖をつくのを止めていた。ダラン、と机におかれた2人の腕、その距離およそ8cm。・・・ますます集中できなくなってきた。それじゃあ、1つの本を覗き込んでいる2人の顔の距離は。確かめたいけどそれはさすがに出来なかった。いくらなんでも大胆過ぎる。 「このページもうよんだ?」 「うん」 千石により再びページはめくられる。ふと目をやると千石はページが風でめくられないように、ずっと親指でページの端を押さえている。ふと、千石はわたしをチラリと見た。 「読むの結構はやいんだね」 「そーかな、はは、」 わたしは何て言ったらいいかわからずにただ、曖昧に笑うことしかできなかった。とうぜん会話はそこで終わって、わたしはまた目の前の物語を読みはじめる。別にわたしは何もそこまで千石としゃべったことがないわけではない。普通にしゃべるしメールだってする。なのに、なぜこんなにも今日のわたしは全てが、ぎこちないのだろうか。その答えはいたってシンプル。わたしと千石の距離。ああ、木目調の、ワックスでピカピカに磨き上げられた床。見慣れているはずなのに、さっき見たらなぜか目がチカチカした。まったくどうかしてる。 千石が普段みたいにフザけたり、おどけたりしないのは、何も融通のきかない先生のせいでは決してない。そう、きっと千石だって気付いているはず。気付いていないとは言わせない。ピン、と張りつめた空気。何かあればすぐにだって緊張の糸は切れてしまいそうだ。 「、まばたき多過ぎ。」 「・・・・・・・・・・・・!」 フ、と意地悪く千石が笑うので、わたしは何も言えなくなってしまった。そして、こんな何気ない瞬間でさえ、わたしはこんなにも千石のことが好きだ、と思い知らされた気がした。 ほどなく授業が終わり、わたしと千石の机が定位置に戻る。名残惜しい気もするけど、いつもこんな距離だとわたしの寿命、軽く3年は縮まるだろうし、まあいい。小さく(ありがと)といったら、(いえいえ。)と、千石は軽く笑って男友達の元へ向かっていった。 ------------------ |